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日本古来の豊作を祖霊に祈る祭(現在のお盆)に中国から伝来した女性が針仕事の上達を願う乞巧奠(きこうでん)などが習合したものと考えられている。もともと盆行事の一部が独立した行事として、行われるようになったと言われている。笹は精霊(祖先の霊)が宿る依代が起源だと考えられている。
七夕伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九編[1]」が文献として初出とされており[2]、南北朝時代の『荊楚歳時記』、その他『史記』等の中にも記述がある。『荊楚歳時記』には7月7日、牽牛と織姫が会合する夜、婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈ったと書かれている。
日本語「たなばた」の語源は『古事記』でアメノワカヒコが死にアヂスキタカヒコネがきたおりに詠まれた歌にある「淤登多那婆多」(弟棚機)または『日本書紀』葦原中国平定の1書第1にある「乙登多奈婆多」に因む。日本では奈良時代に節気の行事として宮中にて行われていた。また、萬葉集では大伴家持の歌「棚機の今夜あひなばつねのごと明日をへだてて年はながけむ」など七夕に纏わる歌が存在する。
本来、宮中行事であったが、織姫が織物などの女子の手習い事などに長けていたため、江戸時代に手習い事の願掛けとして一般庶民にも広がった。
七夕の童話
二人を隔てる天の川 年に一度の七夕に 再び輝く愛の星
織姫(おりひめ)は天帝の娘で、機織(はたおり)の上手な働き者の娘であった。同じく働き者の牛使い彦星(ひこぼし)と仲睦まじく、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となった二人だったが、夫婦生活が楽しくてしかたがなく、織姫は機を織らなくなり、彦星は牛を追わなくなってしまった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日に限り会うことを許した。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増してしまい、二人は年に一度の再会ができなくなってしまう。その時、二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋をかけてくれるという。
織女星と牽牛星の伝説
説話
こと座の1等星ベガは、中国?日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座のアルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、2人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ会うことを許されていた。しかし7月 7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず牽牛も彼女に会うことができない。その時は、二人を哀れんでどこからか無数のカササギがやってきて、天の川に自分の体で橋をかけてくれるという。星の逢いびきであることから、七夕には星あい (星合い、星合) という別名がある。
古典文学として上記のようなストーリーとなった七夕説話であるが、長い歴史のなかで中国各地の民話としてさまざまなバリエーションを生じるにいたった。それらは地方劇で上演され、戯曲の題材となった。そのなかで有名なものに京劇などで演じられる『天河配』がある。その内容は牛飼いの牛郎(牽牛)が水浴びをしていた天女の一人である織女の衣を盗んで夫婦となるが、やがて織女は天界に帰り、牛郎は織女を追って天界に昇るものの、織女の母である西王母によって天の川の東西に引き裂かれるというものであり、羽衣伝説のようなストーリーすなわち白鳥処女説話となっている。
星空
織女や牽牛という星の名称は春秋戦国時代の『詩経』が初出とされているが、どの星を指すかは定かではない。前漢の『史記』天官書を見るとかつての牽牛は牛宿のことであり、現在の牽牛すなわちアルタイルは河鼓(天の川の太鼓)と呼ばれる星座の一星である。七夕伝説の発展により、より説話に相応しい位置に遷されたものと思われる。
中国や日本で使われていた太陰太陽暦では、必ず上弦の月となるので、これを船に見立てることもあった。そして夜遅くには月が沈み、月明かりにかき消されていた天の川が現れてくる。ただし、近年の日本国内では光害の影響により、月が沈んだ後であっても天の川を見ることができる場所は限られている。
グレゴリオ暦(新暦)では、月の満ち欠けは毎年異なるため、月明かりの影響により天の川が全く見えない年も多い。
七夕物語の時期
中国
元来は中国の節句のひとつであり、太陰太陽暦の7月7日 (旧暦)である。中国暦において7月は秋の最初の月「孟秋」であり、7日は上弦の月すなわち半月の日である。7が重なる日であるため「双七」とも呼ばれた。二十四節気では立秋前後の時期に相当する。
七夕を特別な日とすることがいつから起こったかは定かではない。この日の行事について書かれた最も古い文献は後漢時代の崔寔が書いた『四民時令』であり、書物を虫干しにしたことが記されている。
日本
日本では天保暦(旧暦)など和暦で7月7日という7月15日 (旧暦)におこなわれるお盆の直前におこなわれていた。明治6年(1873年)の改暦後は、グレゴリオ暦(新暦)の7月7日(行事によっては7月6日の夜)に、または月遅れの8月7日(東日本、北海道と仙台に多い)に行われるものがよく知られる。また、現在でも旧暦の7月7日に行う地方もある。
グレゴリオ暦の7月7日は夏だが、旧暦の7月7日はほとんど立秋以降であるので、古来の七夕は秋の季語である。日本の多くの地域では、グレゴリオ暦の7月7 日は梅雨の最中なので雨の日が多く、旧暦の頃からあった行事をグレゴリオ暦の同じ日付で行うことによる弊害の一つといわれる。
統計的には、旧暦で晴れる確率は約47%であり、晴れる確率が特別に高いというわけではない。しかし、旧暦では毎年必ず上弦の月となることから、月が地平線に沈む時間が早く、月明かりの影響を受けにくい。新暦では、晴れる確率は約30%と低く、そのうえ月齢が一定しないために、晴れていても月明かりの影響により天の川が見えない年もある。したがって、天の川が見える確率という点では、旧暦の七夕の方がかなり高いと言える。
なお、七夕に降る雨を「洒涙雨(さいるいう)」といい、織姫と彦星が流す涙だと伝えられている。
七夕の出典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
七夕(しちせき/たなばた)は、日本?中国?朝鮮などにおける節供?節日のひとつ。旧暦7月7日の夜のことであるが、日本では明治改暦以降は7月7日または月遅れの8月7日に多く祭が行われる。五節句の一つにも数えられる。
古くは、棚機(たなばた)とも表記し、今日一般的にたなばたと発音するのはその名残である。元来中国での行事であったものが奈良時代に伝わり、もとからあった日本の棚織津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた言葉である。
日本での七夕の風習
殆どの神事は、「夜明けの晩」(7月7日午前1時頃)に行うことが常であり、祭は7月6日の夜から7月7日の早朝の間に行われる。午前1時頃には天頂付近に主要な星が上り、天の川、牽牛星、織女星の三つが最も見頃になる時間帯でもある。
全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。短冊などを笹に飾る風習は、江戸時代から始まったもので、日本以外では見られない。「たなばたさま」の楽曲にある五色の短冊の五色は、五行説にあてはめた五色で、緑?紅?黄?白?黒をいう。中国では五色の短冊ではなく、五色の糸をつるす。さらに、上記乞巧奠は技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。
イモの葉の露で墨をすると習字が上達するといい、7枚のカジ(梶)の葉に歌を書いてたむける。俊成の女の歌に「たなばたのとわたるふねの梶の葉にいくあきかきつ露のたまづさ」とある。
このようにして作られた笹を7月6日に飾り、さらに海岸地域では翌7日未明に海に流すことが一般的な風習である。しかし、近年では飾り付けにプラスチック製の物を使用することがあり海に流すことは少なくなった。地区によっては川を跨ぐ橋の上に飾り付けを行っているところもある。
地域によっては雨乞いや虫送りの行事と融合したものが見られ、月遅れの8月7日には北海道の広い地域で「ローソク出せ」(ローソクもらい)という、子供たちが提灯を持って「ローソク出ーせー、出ーせよー、出ーさーないと、かっちゃく(引っ掻く)ぞー、おーまーけーに噛み付くぞー」と歌いながらろうそくやお菓子をもらいに近くの家を訪ね歩くハロウィーンのような風習がある。歌には地域差が見られ前記の歌から「噛み付いたら放さんぞー」と続く長いもの、函館市の「竹に短冊七夕祭り、大いに祝おう、蝋燭一本頂戴な」など様々なバリエーションがある。
近年の台湾では、バレンタインデーと同様に男女がプレゼントを交換する日とされている。
他方、商店街などのイベントとしての「七夕まつり」は、一般的に昼間に華麗な七夕飾りを通りに並べ、観光客や買い物客を呼び込む装置として利用されており、上記のような夜間の風習や神事などをあまり重視していないことが多い。
日本の七夕祭り
各地の「七夕祭り」のモデルとなったのは、仙台七夕である。当地では、伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため、藩政時代から武家?町人ともに年中行事として各戸の軒先に笹飾りを出していた。しかし、1873年(明治6年)の新暦採用を境にして年々この風習は廃れ、第一次世界大戦後の不景気以降はそれに拍車がかかった。このような事態を憂えた商店街の有志により、1927年に大規模に飾りつけが行われた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。これ以降、「七夕祭り」が集客力のある商店街イベントとして認知され、現在では都市イベントとなるまで発展している。飾りつけに見られるくす玉も、仙台七夕が発祥である。
「七夕祭り」は、神輿や山車を用いる祭りと異なり、飾り付けを前日までに終えれば祭り当日に人的に借り出しがなされず、商店前の通行規制も少ないため、商店街の機能を低下させることなく買物客を集められるという意味で、商店街との親和性が高いイベントである。そのため成功例の仙台七夕を模範に、戦後の復興期以降、商店街イベントとしての「七夕祭り」が東日本を中心に日本各地で開催されるようになり、現在では都市イベントにまで発展している例も多い。
七夕飾りによる昼間の商店街イベントと夜の花火という組み合わせがよく見受けられるが、2001年から始まった松坂七夕まつりのように、商店街イベントではなく、河畔で行われるステージと花火による地域イベントを「七夕祭り」とする例もある。
[編集] 主な七夕祭り
旧暦?月遅れに行う地域
秋田県湯沢市(七夕絵どうろうまつり)
宮城県仙台市(仙台七夕は東北四大祭の1つで、全国的に最も有名な七夕祭である)
福島県いわき市(平七夕祭)旧平市地域
茨城県水戸市(黄門祭)
茨城県土浦市(キララ祭)
群馬県桐生市(桐生八木節まつり)
埼玉県狭山市(入間川七夕祭)
埼玉県小川町(小川町七夕まつり)
埼玉県ふじみ野市(上福岡七夕まつり)旧上福岡市地域。8月第1週末の土日
千葉県茂原市(茂原七夕まつり)7月最終日曜日を最終日とする3日間
東京都杉並区(阿佐ヶ谷七夕まつり)阿佐谷地域
東京都福生市(福生七夕まつり)
神奈川県相模原市(橋本七夕祭り)
富山県高岡市(高岡七夕まつり)中心市街地
石川県珠洲市(宝立七夕キリコ祭り)
愛知県安城市(安城七夕まつり)8月第1週末の金曜?土曜?日曜の3日間
愛知県一宮市(おりもの感謝祭一宮七夕まつり)7月最終日曜日を最終日とする4日間
三重県松阪市(松阪七夕まつり)
山口県山口市(山口七夕ちょうちんまつり)
香川県木田郡三木町(三木町いけのべ七夕まつり)
新暦に行う地域
神奈川県平塚市(湘南ひらつか七夕まつり)
富山県高岡市(戸出七夕まつり)旧戸出町(戸出地区)地域
静岡県静岡市(清水七夕まつり)旧清水市(現清水区)地域
七夕の詩と俳句
詩:(てけと書き下し)
迢迢(ちょうちょう)たる牽牛星、皎皎たる河漢の女
繊繊として素手を擢(ぬ)き、札札として機杼を弄る
終日 章を成さず、泣涕 零(お)つること雨の如し
河漢は清く且(か)つ浅くして、相(あい)去ること復(ま)た幾許(いくばく)か
盈盈として一水が間(へだ)てれば、脈脈として語るを得ず
俳句:
うれしさや 七夕竹の 中を行く
七夕の 旅に病むとぞ 便りせる
七夕た 些少ながらの 祝仪樽
七夕や 秋を定むる 夜のはじめ
そのほか:(てけと訳)(詩の訳文)
「牽牛星(わし座のアルタイル)ははるかに高くあり、織女星(こと座のベガ)は大きな天の川のほとりで明るく光っています。
織女は細くしなやかな白い手で糸をえらび、トントンと機織りの器械をあやつります。
彼女が一日じゅう機を織っても布はちっとも模様にならず、涙は雨のようにこぼれ落ちます。
天の川は澄んでいて浅いのに、おたがいにまた別れてからどれほど離れていることでしょう。
この河の水が満ち溢れてわたしたちを隔てているので、お話しもできずにお互いにじっと見つめあうだけです」
七夕の童謡と歌詞
~ たなばたさま ~ |
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